私は、今自分が感じていることをその場で口にしていきたいと思っています。一緒に心の勉強をしている仲間といるときはとくにです。
それは、ただ話せばいいということではなくて、話すことにストップをかけているパターンをケアしながらです。

「私はだめだ」というパターンがあると自然に話し行動することができなくなります。いつも、これで私はいいんだろうかと、自信が持てずに、人の反応を怖がります。だから、話したり、何かをしようとする時に一瞬の間(1秒もないくらい)を感じるときがあります。その一瞬でどうしようか迷っている状態です。

それを感じながらもパターンをケアしながら、思いきって言ってみようを心がけています。

なのにーー、先日の勉強会で話した後、「あれ?今の私へんだな」と違和感を抱えつつ家に持ち帰ってしまいました。パターンで話した時って気持ち悪さのようなものがどこかに残ります。
何で言っちゃったかわからなくても、とりあえず「私、今へんな感じなの」と、口にしていけるようになりたいです。

私がいるところで自然に話し、行動していきたいです。
今まで自分を抑えることが多かったから、自然体を望んでいるんだと思います。

パターン・・・生まれてから今までに、家族や学校や職場など自分のかかわった人たちの影響を受けたり、自分の体験を通して、こうあるべき、これは正しい、これは間違い、常識、普通など、自分の信じていることをいいます。

    - - お読みいただきありがとうございました。 - - 

私たち一人一人の中には、自分を理解し、許し、愛するためのたくさんの資質があります。
そういうもともとある力を使って、本来の自分(「私」)を育てるカウンセリングを行っています。

もし、人間関係などで悩んでいる方は、今の在り方が自分の望んでいるものではないのかもしれません。また、自分への向き合い方を知りたい方、悩みはとくにないけど自分に向き合って自分を育てることに関心のある方をお待ちしています。

自分を育てるカウンセリング  http://sodatu556.exblog.jp/i2/





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# by yokosize | 2017-04-05 12:29 | Comments(0)

子供たち

私は担任のT先生から、日本の中にも、日本人どうしでも差別があることを教えてもらいました。
そして、みんな仲間なんだからクラスのなかに差別があってはいけないということも言われました。
それを守らないといけないという雰囲気にクラスがなっていきました。

たとえば、学校に来なくなった子がいると、数人で「どうして行かないの?行かなきゃだめだよ」と、強引にその子の家におしかけたり、言ったりしました。本人の行きたくない気持ちを無視した行動だったので、嫌だったろうな、つらかっただろうなって思います。
あと、休み時間に縄跳びをしている子たちに、「入れて」と言って一緒に遊び始めた子がいました。ホームルームで、仲間だったらいちいち「入れて」と断ることないのに、どうして「入れて」なんて言ったんだとその子が追及されます。

ひとりひとりの気持ちや個性の違いを大事にするのではなくて、みんなの差をなくして同じように考え行動していく。何かあるとクラスで一人を「追求だ」と言ってみんなで責める。それがいいことだと思っている。私たち何やってたんだろう?と今は思える嘘みたいなほんとうの話です。

私はどちらかというと、追及することが多かったです。先生の言うことは正しいんだから、自分のやっていることも正しいと信じてはりきってやっていました。だからきっと嫌われていたと思います。
自分の気持ちではなくて、どうやったら正しくいられるかを大事にしていました。後になって、そのときの私はクラスのみんなに追及されるのが怖くて、いつも言うことやすることに気をつけて緊張していたことがわかりました。

いまでも時々その頃の自分を抱きしめにいきます。
そして、今の自分を愛することが大事なんだと思います。ひとりひとりが自分を愛せたら、それが子供たちにも伝わって、子供たちも自分の気持ちを大事にできるから。















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# by yokosize | 2017-04-01 16:01 | Comments(0)

楽しい日曜日

私がはじめてアルバイトをしたのは小学校6年の夏休みでした。
担任のT先生の実家は、そのころ海水浴場の近くで食堂をやっていて、私とYちゃんは日曜日になるとアルバイトをしていました。

どうしてそういうことになったのかは分かりませんが、人手が足りなかったのか、働くことを経験させたかったのか、私たちの家の経済状態を考えてのことなのかだと思います。

あの頃の海水浴場はまだ人気があったので、食堂はけっこう混んでいました。
私とYちゃんは、お客さんの注文を聞いたり、できたものを運んだりしていました。
かき氷は作ってもよかったので、氷が飛ばないように気をつけてハンドル(?)を回しました。子供が働いているのが珍しいようで、お客さんにもよく話しかけられました。

お昼過ぎになると、T先生のお母さんか奥さんに、親子丼などをつくってもらって食べるのが楽しみでした。
お昼を食べてから夕方まで働いて、お駄賃とみつ豆やミカンの缶詰などのお土産をもらって帰りました。
帰りの電車の中では、満たされたような気持ちでいたのをおぼえています。

おままごとのようなアルバイトだったでしょうから、T先生やT先生のご家族の方たちがちゃんと見ていてくれたおかげで無事に働けたんだと思います。

そんな楽しい日曜日とは違う学校生活を、次に書きたいと思います。






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# by yokosize | 2017-03-30 14:36 | Comments(0)

自分で選ぶ

私は両親のことを、父ちゃん、母ちゃんと呼んでいました。父の故郷ではそう呼んでいる人が多かったようです。

やがてそこを引っ越して5歳くらいになったときに、お父ちゃん、お母ちゃんと呼びはじめました。その時のことははっきり覚えていて「お母ちゃんと言えたら、これをあげるから言ってごらん」とお菓子につられて呼びはじめました。

大きくなるにしたがって友達のほとんどが、お母さんと呼んでいるのに気がつき、お母ちゃんと呼んでいる自分が、みんなより幼く、甘ったれているように思えました。
そんな恥ずかしさもあって、だんだんに外ではお母さん、家ではお母ちゃんと呼び分けるようになりました。

十代も後半になって「これから、私はお母さんって呼ぶことにする」と母に言うと、「私はお母ちゃんのほうが好きだけどねぇ」と言われました。それから母が亡くなるまでお母さんでした。

お母さんは、お母ちゃんよりも、さらり、さっぱりという感じなので、母との距離をひろげたい思いも少しはあったと思います。
でも、一番の理由は、みんなと自分が違うことを恥ずかしく思っていたからでした。

あの頃、私はどう呼びたいかなって自分に問うことができたら、一人一人違っていていいと思えたらどうだったんだろうとおもいます。

そんなことを思い出して、自分が選べることを知ったんだから、他人やうわべではなく自分で選ぼうと思いました。


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# by yokosize | 2017-03-28 16:46 | Comments(0)

そのままを見る

おととい拾ってきたラッパ水仙の一本の花びらのまわりが茶色く枯れはじめていました。
あー、茶色になってるなぁと見ていて、いつもと違う見方をしている自分に気づきました。

いつもは、枯れはじめた花を見ると、不快感や嫌悪感とともに「もう捨てなきゃ」とか「もうだめだ」と思っていたことがわかったのです。

それが今朝は、色が変わってきたのをただ眺めているという感じでした。そのままを見ているという感じ。

今までは、花はただ自然に変化しているだけなのに、そのことに良し悪しをつけていました。
これは植物だけでなく、物や、自分への見かたにも同じようなことをしていたと思います。

ずーっと見過ごしてきたことを水仙に教えてもらいました。


     - - お読みいただきありがとうございました。 - - 

私たち一人一人の中には、自分を理解し、許し、愛するためのたくさんの資質があります。
そういうもともとある力を使って、本来の自分(「私」)を育てるカウンセリングを行っています。


自分を育てるカウンセリング  http://sodatu556.exblog.jp/i2/

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# by yokosize | 2017-03-27 10:43 | Comments(0)

自分に向き合い育てながら毎日を大切に過ごしたいと思っています。