パターンに語りかけをしていて思いました。語りかけている「私」と、語りかけられているパターンの分離感って、きれいに澄んだ景色を見ているようなくっきりした感じなんだと思ったんです。
  
そして、「私」とパターンは全然違うことが感じられます。「私」がどのパターンを選ぶか決めることができるから大丈夫なんだ、そういう力があるんだと感じられます。やはり、「私」はボスですね。

ワークをしていると、初めての感覚や新しい発見があっておもしろいです。いろんなことを素直に感じられる自分でありたいと思いました。

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by yokosize | 2017-08-31 23:34 | Comments(0)

大きい声で

一年ほど前、私は大きい声で話すことを心がけていました。それがいつの間にかそれを忘れ小さい声になってきていました。元に戻りはじめていました。

何十年も続けてきたことを変えていくのは、忘れたら思い出して実行するのを繰り返しやってくしかないです。意志力や、行動力や、勇気や、継続力を使って練習します。そうやって、大きい声で自分の思いを表現したときの気持ちのよさを味わいます。

近々、自分の思いを人に伝えたいのもあって、パターンのケアと、毎日声をはって話すことを心がけています。

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by yokosize | 2017-08-30 23:04 | Comments(0)

分からなくても大丈夫

以前の私は、先生の言っていることが分からなかったり、グループのみんなが分かっているのに自分が分からないことがすごく嫌でした。

それは、わからないこと=劣っている、だめ、出来が悪い、無能。だから、わからないことは恥ずかしいと、パターンは思っていたんです。そして、人と比較しては優越感や、劣等感や、あせりや、不安を感じていたので心が休まりませんでした。

それが今は、わからなかったら自分が分かりたいので、質問したり、それでも分からないことは時間をおいて分かるまで待ってみようと思えるようになってきました。分かりたいことがあると自分の中のセンサーのようなものが忘れずに働いてくれている感じがします。(物忘れはすごいのにね)

分からないことは、いつか分かるという楽しみや喜びに通じるものに思えるんです。分からなくても大丈夫なんです。

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by yokosize | 2017-08-29 23:24 | Comments(0)

まだ、分からないこと

自分に向き合うことを続けていると、以前は理解できなかったり、分かったつもりでも体験していなかったことが、いつの間にか自分にとって当たり前のことのようになっていることがあります。

たとえば、私は黒パターンを、
あってはいけないもの、無くさなくちゃ。
   ↓
黒パターンは無くすことはできないらしい、でもそれを認めるのは嫌だし恥ずかしい。
黒パターンは神からのギフトらしいけど、本当?どこが?
   ↓
セッションやワークを通して、黒パターンに向き合えるようになる。
黒パターンに「そうだよね」と言えて少しずつ理解できるようになる。
   ↓
今は、黒パターンも白パターンもあるのは自然なこと、「私」がちゃんと面倒を見るから大丈夫と、パターンに向き合える。

そして、まだその先があるそうです。それはまだ私にはわかりません。でも、いつかわかる時がくるんだろうなって思えます。どんなだろうと楽しみにして、今は自分の課題に精を出します。

まだ、わからないことを楽しみにできるようになった自分っていいなって思いました。

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by yokosize | 2017-08-28 23:33 | Comments(0)

オクラの芽

オクラの芽ってあったんですね。今日はじめて食べました。大きさは貝割れ大根をひと回り大きくしたくらいの大きさです。さっと熱湯をかけた双葉は、味もネバネバも実と似ていて気に入りました。茎は、毛が生えていて湯がく前の実の外側のような舌ざわりなので、生だと食べにくそうです。納豆に合いそうです。

数年前にオクラを育てたのですが、実はいくら茹でても柔らかくならなくて食べられませんでした。ほんとうに固くて木のようでした。なので、黄色い花だけを楽しんでいました。

それからは、オクラを食べるたびに「あー柔らかい!」って感心しています。手塩にかけて育てられたんだろうなって、オクラ畑を想像したり特別な目で見てしまいます。

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by yokosize | 2017-08-27 22:45 | Comments(0)

嬉しい変化

私は口数が少ない方だと思います。以前は、大人しいねとか、静かだねなどとよく言われました。自分があまり話さないのもあって、同じような口数の少ない方といると、間を持て余してどうしていいのかわからない落ち着かない気持ちになっていました。

それが、先日本当に必要なことしか話さない無口な方と一緒のいる機会が何度かあったのですが、以前の自分の感じ方とは違っていました。

あまり話さなくても、その方の持っている雰囲気を感じ、目や表情を見ていると、会話の多い少ないに関係なく、その人らしさを漂わせていて豊かなんだということに気がつきました。この方のことを知りたいなという思いで一緒にいる自分がいました。

私にとって、嬉しい変化と気づきでした。

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by yokosize | 2017-08-26 23:02 | Comments(0)

私の中の「私は正しい」というパターンは、自分の正しさを人にわからせることに力を注いでいます。自分が正しいと認められることで、自分の存在価値が手に入るとパターンは考えているので一生懸命です。

自分の正しさを人に認めてもらう(認めさせる)ためには、接する相手や状況によって、やさしい人や、成長した人や、大人や、しっかり者や、できる人、従順な人‥‥‥などいろいろにパターンは変わります。

それが私の場合、自己表現に関係していることに気がつきました。自分の思っていることや感じていることを人に伝えたときに、否定されたり間違えたりしたら、正しい自分ではいられなくなると思ってパターンは怖がっています。

正しい自分でいるためには、自然なありのままの自分を抑えてしまうので、とても不自然だし苦しく喉のあたりが詰まってきます。そして、歪んだ自己表現をしていると、自分が何を感じているのかわからなくなってしまいます。要注意です。

やはり、私は自分に正直でいたいと思うので、「私は正しい」というパターンをケアしていきます。



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by yokosize | 2017-08-24 23:13 | Comments(0)

人の言うこと(2)

「あんな風に言わないで欲しい」というパターンは、だって、あんな風に言われると、私の作る食事が悪いと責められているように感じるし、あんな言い方をされたらTさんは傷つくだろうし、それを聞いている私は自分のことのように感じて嫌だから、あんな風に言わないで欲しいと思っています。
そして、パターンはあんな風に言われると、不愉快だし、侮辱されたようで腹が立つし、悔しいし、情けないと感じています。

パターンは、Tさんが誰かに言われたことを、自分のこととして聞いて、責任を感じたり、不快感を感じたりしています。

語りかけを何度かして、「Tさんのことを、自分のこととして捉えなくてもいい(のかもしれない)」というパターンに選び変えてみたら、落ち着いて気持ちがいいです。

家族であっても、私は私の宇宙、TさんはTさんの宇宙をつくり生きています。近すぎて、人の宇宙に入ろうとしてしまったり、誰の問題かを忘れてかかわろうとしたりしてしまう自分に気がつきました。

そして、あんな風に言われたことがきっかけとなって、私はパターンに気づくことができて、Tさんは運動を始める決心をしたようです。この一連の流れおもしろいなあと思いました。

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by yokosize | 2017-08-23 21:58 | Comments(0)

人の言うこと

先日、Tさんの身内が集まった席で、Tさんがある方から容姿についてあれこれ言われていました。その方と会わない間に運動不足で体重が増えていたのです。実際見た目も太って変化していました。

私は、それを聞いていて、そんな言い方をしなくてもいいのになぁと不快感を感じました。感じながら、どうして私は不快なんだろうと思いました。人がTさんに言っていることを、どうして私は受け入れて、私の中のどのパターン(*)に引っかかっているのだろうと思いました。

人が何を言っても私がそれを受け取らなければいいのに(私の宇宙には他人は全く関係ないのだから)、まだ私にはそれができていません。人の話をパターンで聞いて「そんな言い方をしないで欲しい」と、人に求めている状態です。

「そんな言い方をしないで欲しい」というパターンは・・・・明日に続きます。

  - - お読みいただきありがとうございました。 - -  

他人の言ったことに一喜一憂し、そのことに縛られてしまうことってありませんか?
それにはパターンというものが関係しています。そのパターンを知り、理解していくことで人間関係がスムーズに楽になっていきます。そういう力が私たちの中にはちゃんとあります。自分の中の力を使ってみたい方をお待ちしています。
自分を育てるカウンセリング  http://sodatu556.exblog.jp/i2/ (*)


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by yokosize | 2017-08-22 23:41 | Comments(0)

インナーチャイルド

先日のグループで先生から教えていただいた「子供たちをいやすワーク」を、兄弟にやってみようと思いました。

子供たちの一人取り残された心細さ、無視された悲しみ、不自由さ、寂しさが感じられ涙がでました。
その子供たちの様子や心情を感じて癒すことで、自分の中にも理解という癒しが起こっている気がしました。理解って癒しでもあると思えました。

そして、自分の子供時代の嫌でつらいと感じた出来事が少しずつ変化して、嫌でつらいという感情が薄れてきていたんだということが分かりました。

それぞれの世界なんだけれど、つながっていると思うとあたたかいものを感じます。

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by yokosize | 2017-08-21 23:49 | Comments(0)

自分に向き合い育てながら毎日を大切に過ごしたいと思っています。