八朔

私は「八朔」が好きで毎年2月頃からほぼ毎日食べています。もうあの酸味と苦みがたまらなく好きです。柑橘類がだんだん甘くなっていくなかで、八朔の酸味と苦みを味わうと、これでなくちゃね!って嬉しく思います。

春は中医では肝臓の季節で、冬の間に体内にたまった脂肪や老廃物をだすために、酸味(柑橘類,酢など)や、えぐみのある山菜などをとるといいので、体が要求しているんだと思います。

不思議と5月半ばになると、だんだんに八朔が欲しくなくなってきます。その頃にはお店にも並ばなくなりますけどね。季節と体と食べ物の関係ってうまくできているなあって思います。

もうしばらくの間、八朔をたのしみます。

[PR]
by yokosize | 2017-04-14 23:46 | Comments(0)

とことんやろう

パターンに向き合うことを、とことんやろうって最近おもいます。

私はずいぶん長いこと同じようなパターンに向き合っているので、ときどき私に足りないものはなんだろう?と疑問がわいていました。何年も前のノートに、今と同じようなパターンが書いてあるのを読み返すとよけいに思います。

何十年も(もっと昔からかも)抱えてきたパターンだから、コツコツ時間をかけることも必要だと思います。その他にできることは、やっぱり、とことんやることしかないと思います。

日常生活はやることがいっぱいあるけれど、ちょっと手を抜きながら、ひとりの時間をつくりながら、意識して生きることを優先しながら生活しよう。

そして、パターンの生み出した怒りや、嫉妬や、絶望感や、悲しみや、情けなさや、愛されたい気持ちなど、どんな感情にも共感して、パターンが自ら作り出した世界をとことん理解する。
白黒ワークで白を選ぶと決めたら、とことん選びつづけよう。

「私」をとことん信じよう。

という感じで、とことんやろうと思います。



[PR]
by yokosize | 2017-04-13 13:35 | Comments(0)

昨日は「魂の道場」のセッションでした。私が今取り組んでいるいくつかのパターンの話をしたあとに、先生がおっしゃったのが「私の宇宙に他人はまったく関係ない」でした。

一人一人が自分のパターンで生きているから、親子でも、兄弟でも、夫婦でも、その人が作った世界で生きているというのは、わかっているつもりですが、他人が登場するパターンがあるうちは、私は心底それがわかっていないんだなって思います。

なぜなら、私が向き合っているパターンのひとつ「私は能力(価値)がない」は、「なぜなら、生まれ育った家が貧乏だったし、学歴がないし、お金がないし、認められてもいないから・・・」などと自分と他人を比較したり、条件の優劣を競いつづけているからです。他人に、ほめられることや、守られることや、愛されることなどを求め続けているからです。今の自分の辛さや苦しみを人のせいにもするし。

侵すことが不可能な他人の宇宙に、何とかして入り込もうとしたり、奪おうとしたり、自分の宇宙に引き寄せようとしたりすることにエネルギーを使っていると考えると、もうそこは卒業したいなって思います。

私の宇宙を平和にしていきたい!



[PR]
by yokosize | 2017-04-11 11:03 | Comments(0)

語りかけ

パターンへの語りかけをしていて何か気持ちがのらない、パターンに響かないときがあります。

私はそういうとき、今語りかけが必要なパターンはこれじゃないかも?・・・例えば、「私の方がみんなより上だ」より「私はだめだ」の方が胸の奥に入っていく感じがするというように、優先順位を変えます。

もっと違うぴったりくるパターン名があるかも?・・・例えば、「○○さんが嫌い」ではなくて、「私は○○さんより上だ」の方がしっくりくる言葉をさがします。

かたち通りにしているだけでパターンの気持ちが聴けてないかも?・・・パターンの気持ちが聴こえてきたら受けとめじっくりと味わう。じっくり味わうとパターンへの理解が深まるので、これってすごく大事だと思います。

現実味が足りないかも?・・・よりリアルにパターンが騒いだ具体例や個人名をだします。

いろいろ考えながら、パターンがいちばん安心できる語りかけをしたいと思います。











[PR]
by yokosize | 2017-04-08 23:45 | Comments(0)

私は、今自分が感じていることをその場で口にしていきたいと思っています。一緒に心の勉強をしている仲間といるときはとくにです。
それは、ただ話せばいいということではなくて、話すことにストップをかけているパターンをケアしながらです。

「私はだめだ」というパターンがあると自然に話し行動することができなくなります。いつも、これで私はいいんだろうかと、自信が持てずに、人の反応を怖がります。だから、話したり、何かをしようとする時に一瞬の間(1秒もないくらい)を感じるときがあります。その一瞬でどうしようか迷っている状態です。

それを感じながらもパターンをケアしながら、思いきって言ってみようを心がけています。

なのにーー、先日の勉強会で話した後、「あれ?今の私へんだな」と違和感を抱えつつ家に持ち帰ってしまいました。パターンで話した時って気持ち悪さのようなものがどこかに残ります。
何で言っちゃったかわからなくても、とりあえず「私、今へんな感じなの」と、口にしていけるようになりたいです。

私がいるところで自然に話し、行動していきたいです。
今まで自分を抑えることが多かったから、自然体を望んでいるんだと思います。

パターン・・・生まれてから今までに、家族や学校や職場など自分のかかわった人たちの影響を受けたり、自分の体験を通して、こうあるべき、これは正しい、これは間違い、常識、普通など、自分の信じていることをいいます。

    - - お読みいただきありがとうございました。 - - 

私たち一人一人の中には、自分を理解し、許し、愛するためのたくさんの資質があります。
そういうもともとある力を使って、本来の自分(「私」)を育てるカウンセリングを行っています。

もし、人間関係などで悩んでいる方は、今の在り方が自分の望んでいるものではないのかもしれません。また、自分への向き合い方を知りたい方、悩みはとくにないけど自分に向き合って自分を育てることに関心のある方をお待ちしています。

自分を育てるカウンセリング  http://sodatu556.exblog.jp/i2/





[PR]
by yokosize | 2017-04-05 12:29 | Comments(0)

子供たち

私は担任のT先生から、日本の中にも、日本人どうしでも差別があることを教えてもらいました。
そして、みんな仲間なんだからクラスのなかに差別があってはいけないということも言われました。
それを守らないといけないという雰囲気にクラスがなっていきました。

たとえば、学校に来なくなった子がいると、数人で「どうして行かないの?行かなきゃだめだよ」と、強引にその子の家におしかけたり、言ったりしました。本人の行きたくない気持ちを無視した行動だったので、嫌だったろうな、つらかっただろうなって思います。
あと、休み時間に縄跳びをしている子たちに、「入れて」と言って一緒に遊び始めた子がいました。ホームルームで、仲間だったらいちいち「入れて」と断ることないのに、どうして「入れて」なんて言ったんだとその子が追及されます。

ひとりひとりの気持ちや個性の違いを大事にするのではなくて、みんなの差をなくして同じように考え行動していく。何かあるとクラスで一人を「追求だ」と言ってみんなで責める。それがいいことだと思っている。私たち何やってたんだろう?と今は思える嘘みたいなほんとうの話です。

私はどちらかというと、追及することが多かったです。先生の言うことは正しいんだから、自分のやっていることも正しいと信じてはりきってやっていました。だからきっと嫌われていたと思います。
自分の気持ちではなくて、どうやったら正しくいられるかを大事にしていました。後になって、そのときの私はクラスのみんなに追及されるのが怖くて、いつも言うことやすることに気をつけて緊張していたことがわかりました。

いまでも時々その頃の自分を抱きしめにいきます。
そして、今の自分を愛することが大事なんだと思います。ひとりひとりが自分を愛せたら、それが子供たちにも伝わって、子供たちも自分の気持ちを大事にできるから。















[PR]
by yokosize | 2017-04-01 16:01 | Comments(0)

自分に向き合い育てながら毎日を大切に過ごしたいと思っています。